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日本における生命科学研究のデュアルユース性に関する取り組みの現状

本論文は、以下の論文を日本バイオセーフティ学会より許可を得て転載しています。 齋藤智也. 日本における生命科学研究のデュアルユース性に関する取り組みの現状. JBSA Newsletter. 2016;6(2):11-16.

総説

日本における生命科学研究のデュアルユース性に関する取り組みの現状

齋藤 智也
国立保健医療科学院健康危機管理研究部

1. はじめに

生命科学のデュアルユース性(用途の両義性)の管理のあり方が問われている。1990年代から、生命科学の誤用・悪用の懸念を抱かせる研究がいくつか指摘され始めた1-3)。2011年のインフルエンザA/H5N1ウイルスのヒトへの空気伝播性に関する河岡氏らのグループ4)とフーシエ氏らグループの論文5)の公表の是非を巡る議論6)は、生命科学分野におけるデュアルユース問題について、科学界のより一層の関心を高めることになった。そのガバナンスのあり方については、各国で議論が進んでおり、特に米国7)、オランダ8)での進展が著しい。本稿では、本邦における本問題に対する取組み状況を振り返ってみたい。

2. 国内での生命科学のデュアルユース性に対する取組み〜普及啓発〜

国内での生命科学研究のデュアルユース性に対する取り組みは、「普及啓発」そして「科学者による自発的取組み」というステップを経てきた。前者には、セミナー等の開催や、教育素材の開発、教育機会の提供がある。後者には、学会でのシンポジウム開催、行動規範の制定や政策提言などがある。国内での取組みを表1 国内における生命科学のデュアルユース性に関する取組みにまとめた。

「普及啓発」については、国内では、防衛医科大学校や科学技術振興機構社会技術研究開発センター(JST/RISTEX)、慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所(G-SEC)らが中心となって進められてきた。防衛医科大学校では、英国ブラッドフォード大学と連携して教育プログラム開発に取組み、2008年度から、バイオセキュリティに関する高等教育プログラムを医学部学生および研究科(大学院)学生に提供してきた9)。国内の62大学197コース(学士・修士・博士)を対象とした峯畑らの2009年の調査報告10)によれば、生命倫理教育は7割程度で実施されているものの、バイオセキュリティ、デュアルユース、バイオセーフティの教育は1-2割しか実施されていなかった時代であり、生命科学者への普及啓発が急務であった。なお、教育プログラムの実施状況のその後の進展については、2016年4月に防衛医科大学校・四ノ宮教授と科学技術振興機構・峯畑フェローにより再調査が実施され、現在分析が行なわれているところである。なお、防衛医科大学校と英ブラッドフォード大学が共同開発した教育課程用オンライン教材は、日本語版も作成され、各教育機関における教育者がそれぞれの目的に合わせて改変可能な教育素材として、英ブラッドフォード大学ウェッブサイトに2009年から提供されている11)。現在では英語、日本語以外に7ヶ国語に翻訳されている。その他、教育に関するグローバルな取組みについては、峯畑らの文献12)を参照されたい。

JST/RISTEXは、文部科学省安全・安心科学技術プロジェクトの委託事業として、2007年度から古川勝久フェロー(当時)が率いたプロジェクトの中で、デュアルユース性のある生命科学研究のガバナンスについて、英ブラッドフォード大学、英エクスター大学、米国科学アカデミーなどの専門家によるセミナー等を開催するようになった13-15)。慶應義塾大学G-SECも同様に、竹内勤教授(当時)が率いた文部科学省安全・安心科学技術プロジェクトの委託事業および「わが国のバイオセキュリティ・バイオディフェンス準備・対応策策定についての医学・人文社会科学融合研究」グループで、セミナーや国際シンポジウムを16-18)、防衛医科大学校、JST/RISTEXのグループと連携しながら開催してきた。2010年に開催されたバイオセキュリティワークショップ「科学の倫理と機微技術のリスク管理」は、バイオセキュリティの観点を軸にしつつも、「科学のリスク管理・機微技術管理」という、より大きな枠組みで、社会システム論分析も加わった討論に発展した19)。アカデミアのみならず、主にバイオ関係企業に向けたセミナーも2013年に一般財団法人バイオインダストリー協会により行われている20)

筆者も関わった慶應義塾大学G-SECのプロジェクトでは、普及啓発・教育のための日本語素材の開発も行われた。2010年には、生命科学のデュアルユース性に関する諸外国の主要なドキュメントである、オランダの作成したバイオセキュリティ行動規範21)や「フィンクレポート」のエグゼクティブ・サマリーの邦訳22)を提供した。2013年には、本分野の日本語初の成書が、防衛医科大学四ノ宮教授・早稲田大学河原准教授(当時)の尽力により出版に至った23)

3. 国内での生命科学のデュアルユース性に対する取組み〜科学者による自発的取組み〜

上記のような普及啓発の取組みを背景に、日本学術会議は、2011年8月に外務省、防衛省等の協力の下、学術フォーラム「生命科学の進展に伴う新たなリスクと科学者の役割」を開催し、研究者コミュニティの内外にデュアルユースの問題を提起した。本フォーラムでは、改めてデュアルユース問題を共有し、情報発信の重要性や行動規範を策定する必要が指摘され、日本学術会議が積極的な役割を果たすべきだとの意見が出された24)。その直後に、インフルエンザA/H5N1ウイルスの論文の公表に関する議論が勃発するが、日本学術会議は、デュアルユース問題が生命科学のみならず幅広い分野に内在する課題、との認識のもと、2011年11月に分野横断的組織である課題別委員会の一つとして、「科学・技術のデュアルユース問題に関する検討委員会」を設置した25)。この委員会では、「科学・技術の用途の両義性に関わる規範」を示し、科学・技術の用途の両義性の問題を踏まえて、声明「科学者の行動規範について」の部分的改訂を行うことを提案するとともに、学術会議の各分野で両義性についてより具体的な議論や行動を促した。その後、2013年1月に、「科学者の行動規範—改訂版—」26)が発出された際に、科学研究の利用の両義性への危惧に関する項目も加えられた。さらに、日本学術会議は、基礎医学委員会に病原体研究に関するデュアルユース問題分科会を設置し、規範を具体的にあてはめて適用することの実例として、病原体研究に関連する用途の両義性問題を議論し、2013年に提言を報告した27)。提言では、研究者・技術者自身の思慮が十分でない場合や、研究組織や学協会側の現状認識の不足や研究者・技術者への不十分な支援体制を指摘し、病原体研究の危険性の認知とその限局化の努力、各研究機関による教育と管理、学協会の役割、国際的連携と日本学術会議の役割を提言している。具体策としては、学協会・学術会議からの情報発信、研究機関での個別審査制度等を挙げている。一方で、病原性を高める研究成果の発表方法の取扱いや、米国バイオセキュリティ諮問委員会(National Science Advisory Board for Biosecurity; NSABB)のような組織の必要性については継続審議としている。日本学術会議のデュアルユースに関する議論の過程では、2012年に「デュアルユース問題とBSL4施設シンポジウム」が開催され、デュアルユース問題とBSL4施設の問題に関する議論を包括的に捉えた議論が行われたこともあった27)

関係学会では、H5N1論文に関する議論の勃発後の2012年には、年次総会等でセッション等が設けられ、議論が行われた。日本生命倫理学会のほか、それぞれウイルス学、合成生物学、分子生物学の専門学会である日本ウイルス学会学術集会、「細胞を創る」研究会5.0、日本分子生物学会年会で、関係セッションが設けられた。これらの4学会での討議内容については、JST/CRDSの報告書28)に詳細が記載されている。

一方、JST/CRDSは、H5N1論文公表に関する議論を受けて、2012年にわが国の研究開発におけるバイオセキュリティ上のリスクとその対応に関する現状を調査している29)。2012年度には、わが国におけるライフサイエンス研究のデュアルユースへの対応方策の立案に向け、調査・提言活動を実施し、有識者を集めたワークショップを開催し、その報告をまとめているほか28)、日本学術会議の諸提言を、実際の研究開発や成果の社会実装の場に展開するために、府省等行政機関、資金配分機関、学会などの研究者コミュニティ、大学・研究機関、研究者個人・研究室に至る様々なステークホルダーについて、研究開発の段階に応じて取るべき対応策が提案されている30)

4. 生命科学研究におけるデュアルユース性への関係機関の関わり

 生命科学研究におけるデュアルユース性に対するガバナンスの構築にあたっては、研究の計画からその負の影響を生じるプロセスの中で、様々な関係分野の役割を俯瞰して検討する必要がある(図1)。研究プロセスは、科学者が着想し、計画し、資金を得て、資材を購入し実験を行う。そして、その成果を発表・出版する。その成果が誤用・悪用されると、社会に対して負の影響を及ぼすことになる。科学コミュニティの重要な役割は、研究の着想から成果の公表に至るプロセスにある。特に、行動規範による自主的な統制は、研究活動に対する社会の理解を得る上で重要である。そして安全に実験を行うバイオセーフティの遵守は、ラボ・バイオリスク管理の中で、科学界が主として取り組むべき事項である。普及啓発と教育、リスク・ベネフィット分析、そしてラボ・バイオセキュリティを含むラボ・バイオリスク管理は、科学、インテリジェンス・セキュリティ、公衆衛生の3分野が協働して取り組むべき課題である。誤用・悪用の防止は、インテリジェンス・セキュリティ分野が主として取り組むべき分野であり、輸出管理・犯罪管理のプロセスがこれにあたる。感染症流行という形で負の影響が現れた際の対処は公衆衛生分野が一義的に取り組まなければならない。このように、生命科学研究のデュアルユース性のリスク管理は、多層的な取り組みが必要とされる。各分野がそれぞれの役割を認識しつつ、協働して行うべきプロセスについてはその協働プラットフォームを構築していく必要がある。

図1 生命科学研究におけるデュアルユース性の関係分野と役割

 5. おわりに

生命科学のデュアルユース性の問題に対して、過去約10年間に国内で取り組まれてきた取組みを整理した。2000年代後半から2010年代初頭にかけて、普及啓発から、行動規範の改訂や提言等、科学コミュニティ主導の取組みが行われてきているが、さらなる普及啓発や意識向上、ほか、具体的な管理方策のあり方についての議論が近年は低調である。各大学での教育における普及状況についての調査結果を待って、今後の取り組みを検討する必要がある。なお、今年度は日本バイオセーフティ学会と日本生命倫理学会にて関係シンポジウムが企画中である。これまで生命科学研究のデュアルユース性について、普及啓発や調査研究を行ってきた研究者を中心に、平成27年度より文部科学省科研費特設分野研究(紛争研究)の支援を受け、バイオセキュリティ研究を加速している。研究班のホームページを開設しており、研究班員の業績の他、リンク集、バイオセキュリティに関係する世界各地のニュース等もブログ形式で紹介しているので参照いただきたい (http://biosecurity.jp)。平成28年3月には第1回バイオセキュリティ研究会を開催した。生命科学研究のデュアルユース性に関する話題も含め、今後も年間2〜3回程度開催する予定である。

 6. まとめ

日本国内における生命科学研究におけるデュアルユース性のガバナンス構築に向けた取組みを紹介した。普及啓発・科学者の自主的な取組みは進んでおり、草の根的なセミナーから始まり、日本語での教育素材も充実しつつあり、政策的には、日本学術会議による提言の発出にまで至っているところである。研究の「管理」は、行政主導で進行すると望まない過剰規制を生む懸念がある。今後、アカデミアにおける教育等の取り組みの普及状況を注視つつ、科学者側から、社会に理解を得られるガバナンス体制を提示していくことが望まれる。一方、ガバナンス体制の構築に当たっては、研究の着想から誤用・悪用による負の影響に至るプロセスを俯瞰して、関係コミュニティの役割を整理しつつ、それぞれが役割を認識し、協働して取り組む枠組みを形成しながら統合的な方針を検討していく必要がある。

謝辞

本稿の作成には、日本医療研究開発機構感染症実用化研究事業新興・再興感染症に対する革新的医療品等開発推進研究事業「わが国における高病原性病原体取扱い者の安全を確保するための研究」、文部科学省科研費(15KT0054)の支援を受けた。

参考文献

  1. Borzenkov VM., et al. [The additive synthesis of a retulatory peptide in vivo: the administration of a vaccinal Francisella tularensisi strain that produces beta-endorphin]. Biull Eksp Biol Med. 116, 151-153, 1993.
  2. Pomerantsev AP., et al., Expression of cereolysine AB genes in Bacillus anthracis vaccine strain ensures protection against experimental hemolytic anthrax infection. VAccine 15, 1846-1850, 1997.
  3. Jackson RJ., et al. Expression of mouse interleukin-4 by a recombinant ectromelia virus suppresses cytolytic lymphocyte responses and overcomes genetic resistance to mousepox. J Virol, 75, 1205-1210, 2001.
  4. Imai T, Watanabe T, Hatta M, Subash CD, Ozawa M, Shinya K, Zhong GG, Hanson A, Katsura H, Watanabe S, Li C, Kawakami E, Yamada S, Kiso M, Suzuki Y, Maher AE, Neumann G and Kawaoka Y.:Experimental adaptation of an influenza H5 HA confers respiratory droplet transmission to a reassortant H5 HA/H1N1 virus in ferrets. Nature 486:420-428, 2012.
  5. Herfst S, Schrauwen JEE, Linster M, Chutinimitkul S, Wit E, Munster JV, Sorrell ME, Bestebroer MT, Burke FD, Smith JD, Rimmelzwaan FG, Osterhaus DMEA, Fouchie AMR.:Airborne Transmission of Influenza A/H5N1 Virus Between Ferrets. Science Vol. 336 no. 6088:1534-1541, 2012.
  6. 田代眞人.:ヒトで感染伝播する可能性のある強毒型H5N1鳥インフルエンザウイルスの論文発表に関するDual use問題. ウイルス 62(1):97-102, 2012.
  7. 天野修司,齋藤智也.米国におけるデュアルユース性が懸念される研究(Dual Use Research of Concern; DURC)に関する政策動向. ウイルス 65(2), 295-300,2015.
  8. 齋藤智也, 天野修司. オランダのバイオセキュリティ強化政策. ウイルス 65(2), 287-294, 2015.
  9. Minehata M and Shinomiya N. Chapter 5: Japan: Obstacles, Lessons and Future, In Education and Ethics in the Life Sciences: strengthening the prohibition of biological weapons, edited by Brian Rappert, Series: Practical ethics and public policy; no. 1., published by ANU E Press, The Australian National University, Canberra, Australia, 93-114, 2010.
  10. Minehata M and Shonomiya N. Dual-use Education in Life-Science Degree Courses at Universities in Japan: Survey Report. National Defense Medical College, Japan and Bradford Disarmament Research Centre, University of Bradford, UK. 2009
  11. http://www.brad.ac.uk/acad/sbtwc/dube/lectures/lectures_inJPNse.htmlより入手可能である。
  12. Minehata M, Sture J, Shinomiya N, Whitby S, and Dando M. Promoting Education of Dual-Use Issues for Life Scientists: A Comprehensive Approach. Journal of Disaster Research Vol.8 No.4, 674-685, 2013.
  13. 科学技術振興機構社会技術研究開発センター. 平成19年度文部科学省委託事業安全・安心科学技術プロジェクト「テロ対策・危険物検知のための科学技術に関する情報収集・分析等の調査研究」報告書. 2008.
  14. 科学技術振興機構社会技術研究開発センター. 平成20年度文部科学省委託事業安全・安心科学技術プロジェクト「社会に実装されるテロ対策のための科学技術の在り方に関する調査研究」報告書. 2009.
  15. 科学技術振興機構社会技術研究開発センター. 平成21年度文部科学省委託事業安全・安心科学技術プロジェクト「テロ対策のための科学技術の最新動向および研究成果の実装化に関する調査研究」報告書. 2010.
  16. 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所. 平成20年度文部科学省委託事業安全・安心科学技術プロジェクト「我が国のバイオセキュリティの向上に関する調査研究」報告書. 2009.
  17. 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所. 平成21年度文部科学省委託事業安全・安心科学技術プロジェクト「テロ等への医学的見地からの公衆衛生措置や医療的対策に関する調査研究」報告書. 2010.
  18. 日本学術振興会 二国間交流事業 日英合同セミナー「バイオセキュリティ、デュアルユースジレンマと生命科学者のための教育」報告書.
  19. 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所.バイオセキュリティワークショップ「科学の倫理と機微技術のリスク管理」開催報告書. 2011.
  20. 一般財団法人バイオインダストリー協会ホームページ セミナーイベント報告「バイオセキュリティセミナー -バイオ研究におけるデュアルユース問題にどう取り組むか-」 http://www.jba.or.jp/pc/archive/activitie/2013/development_base/info/000788.html. 2013
  21. A Code of Conduct for Biosecurity –Report by the Biosecurity Working Group. Royal Netherlands Academy of Arts and Sciences. 2007. 邦訳はhttp://biosecurity.jp/publicationより入手可能.
  22. 米国科学アカデミー「Biotechnology Research in an age of terrorism」2004  (邦文抄訳)
  23. 生命科学とバイオセキュリティ デュアルユース・ジレンマとその対応. 四ノ宮成祥/河原直人編著. 東信堂. 2013.
  24. 日本学術会議 報告「科学・技術のデュアルユース問題に関する検討報告」平成24年11月30日.
  25. 日本学術会議「声明 科学者の行動規範–改訂版-」 平成25年1月25日. 
  26. 日本学術会議基礎医学委員会病原体研究に関するデュアルユース問題分科会「提言 病原体研究に関するデュアルユース問題」平成26年1月23日.
  27. 日本学術会議基礎生物学委員会・統合生物学委員会・農学委員会・基礎医学委員会・臨床医学委員会合同総合微生物科学分科会. 提言「我が国のバイオセーフティレベル4(BSL-4)施設の必要性について」. 平成26年3月20日. 
  28. 科学技術振興機構研究開発戦略センター. 科学技術未来戦略ワークショップ報告書「ライフサイエンス研究開発におけるバイオセキュリティの実装戦略」. 2013.
  29. 科学技術振興機構研究開発戦略センター. バイオセキュリティに関する研究機関、資金配分機関、政府機関、国際機関等の対応の現状調査報告. 2012.
  30. 科学技術振興機構研究開発戦略センター.戦略プロポーザル ライフサイエンス研究の将来性ある発展のためのデュアルユース対策とそのガバナンス体制整備.2013. 

生物兵器禁止条約専門家会合2015 の議論に見るバイオセキュリティの動向

本論文は、以下の論文を日本バイオセーフティ学会より許可を得て転載しています。
齋藤智也. 会議参加報告 生物兵器禁止条約専門家会合2015の議論に見るバイオセキュリティの動向. 
Meeting Report: Trends in Biosecurity: Report from Biological Weapons Conventions 
Expert Meeting 2015. JBSA Newsletter. 2015;5(3) : 35-38.

会議参加報告

生物兵器禁止条約専門家会合2015 の議論に見る
バイオセキュリティの動向

齋藤 智也
国立保健医療科学院健康危機管理研究部

はじめに

細菌兵器(生物兵器)及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約(通称「生物兵器禁止条約」、以後BWC とする)は生物・毒素兵器を包括的に禁止する唯一の多国間の法的枠組みである1)。5 年毎に開催される締約国による運用検討会議のほか、近年は、「会期間活動」として、専門家会合と締約国会合を毎年開催し、条約の実施及び強化のために必要な方策について議論を行っている。筆者は、今年8 月にジュネーブで開催された専門家会合に参加し、口頭発表2)及びポスター発表3)を行ったので、この場を借りて会議概要を報告させていただきたい。

2015 専門家会合の背景

今年は第7 回運用検討会議(2011)の決議に基づく会期間活動(2012 〜2015) の最終年である。BWC は、条約遵守を検証する手段に関する規定が不十分であることから、条約を如何に強化するかが課題とされている1)。そのため、「会期間活動」として、専門家会合と締約国会合を開催し、2003 年から様々な分野の議論が継続的に行われ、条約の履行・強化につながる具体的な方策について共通理解の醸成を目指している。軍縮的コンテクストでの議論が中心の場ではあるが、近年は事態発生後の公衆衛生対応等を含めたより幅広い領域に議論が拡大している。その理由として、第一に、生物剤は剤の管理が困難であり、民生用途と境界が曖昧でもあるため、ボトルネックとして管理可能なポイントが存在しないことが挙げられる。さらには、生命科学の急速な進展による技術的進歩の悪用への懸念がある。科学の発展とその利益の享受を妨げず、内在する「デュアルユース性」のリスク管理を行うアプローチとして、「予防の包囲網(Web of Prevention)」という観点から、事態発生後の公衆衛生対応までを含めた、関係者も幅広く設定したリスク管理の考え方が共有されている。その議論のスコープの中には、当然「ラボバイオセーフティ・バイオセキュリティ」も入っている。
専門家会合は、締約国のみならず、様々な関係主体にも門戸を開いていることが特徴的である。締約国や、関係国連機関、国際機関のほか、NGO らも議論の傍聴が認められている。また、本会合の合間にポスターセッション、サイドイベントも開催され、様々な情報発信が行われている。筆者は2008 年、2014 年に続いて3 回目の出席となったが、「生物兵器対策」という観点で、各国の最新の取組みについて、予防的観点から公衆衛生対策まで幅広く意見交換ができるため、学会などとは異なる重要な情報共有プラットフォームであると感じている。2012 年〜2015 年は、常設議題として「国際協力・支援」と「科学技術進展のレビュー」「国内実施強化」を置いている。ほか、2014/2015 年は「条約第7 条(生物兵器使用疑惑の際の防護支援)実施強化」が議題となった。
専門家会合・締約国会合は、非同盟運動(Non-Aligned Movement ; NAM)、東ヨーロッパグループ、西側グループの代表が議長・副議長を交代で務めることになっており、本年はNAM のマレーシアのジュネーブ政府代表部大使が議長を務めた。

2015 専門家会合の主な議論

昨年から今年にかけての西アフリカにおけるエボラウイルス病への対応経験は、まさに今年度の議題「国際協力・支援」「第7 条の実施強化」に教訓を与えるものであり、関連する声明が数多く聞かれた。この専門家会合の直前にも、国連軍縮研究機関とBWC 履行支援ユニットの共催による「生物兵器禁止条約へのエボラアウトブレイク対応からの示唆と教訓」4)という会合が開催されている。ここではエボラ流行での経験を踏まえ、意図的な生物剤散布が行われた状況下での支援を想定した議論を行っている。議論では、原因究明や対応支援における、軍と公衆衛生対応者の関係や指揮命令系統のあり方、医療従事者のセーフティ・セキュリティ、国際機関とNGO の関係性などが指摘された。また、生物兵器禁止条約には、支援すべき役割はあるとしてもその対応キャパシティや指揮命令系統機能は事実上有しないというギャップも認識された。
そのほか、ロシアによる議定書(法的拘束力のある条約の補完文書)作成に関する交渉再開提案や、第8 回運用検討会議に向けた発言といった重要な話題もあったが、条約そのものに関する外交交渉的要素が強い内容であるため、ここでは割愛する。
例年通り、多数のサイドイベントが開催されたが、そのタイトルと主催者を表1 にまとめた。中でも、オランダのバイオセキュリティ強化に関する一連の取組みに関する報告は興味深かった。ラボの脆弱性評価ツールの開発など、ラボバイオセーフティ・セキュリティ関係者にも関心の高い取組みであるが、この詳細については別の機会に報告したい。

表1. サイドイベント